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2007年05月08日

ベンツ

メルセデス・ベンツ (Mercedes-Benz) は、ドイツの自動車製造者 ダイムラー・クライスラー(DaimlerChrysler AG) の乗用車や商用車のブランドの一つである。

乗用車としては高い安全性と先進性を兼ねそなえた高級車として知られ、日本をはじめ、アジア諸国やロシア、アメリカなど世界各国で社会的地位、成功のシンボルとして知られる。

その一方、欧米のメディアやマスコミにおいては、武器商人やビバリーヒルズの歯医者、セレブリティの所有車といった成金的なイメージとして表象されることも多く、日本でも暴力団や芸能、テレビ関係者、スポーツ選手等が好む車の代名詞として知られている。また、外交官向け販売を行っていることより、冷戦時代においては東側諸国の外交官の利用者も多く、その為「ペルソナ・ノン・グラータ向けの車」と揶揄されることも多い。

日本で販売されている車種の価格は、約250万円台(Aクラス) 〜 5,700万円台(SLRマクラーレン)であり、すべてのクラスにおいて、国産車で同じ排気量を持つ車種の1.5倍以上の価格設定である。

2006年の販売台数クラス別ランキングでは、1位はEクラス、2位はSクラス、3位はCクラス、4位はBクラスである。

「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』という意味)」という名前は、命名された1899年当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領事、エミール・イェネリックの娘の名前である。「ダイムラー」という硬い響きを持つブランドネームを避け、当時流行していたスペイン風の響きを持つ名前をあえて選んだと言われている。「メルセデス」ブランドは非常に有名になったこともあり、ダイムラー・モトーレンは1902年、メルセデスを商標登録した。なお、ヨーロッパでは一般に「メルセデス」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。

なお、ドイツ語の原音に近い読み方では「メルツェデス」となる。自動車評論家の徳大寺有恒は著書や自動車雑誌の中でこの表記を用いることが殆んどである。また、五木寛之も著書の中ではこの表現を固持して使っている。

メルセデスのセダン、クーペ、オープンカーでは、銀色のボティがもっとも人気高い。この理由のひとつとしてあげられるのが、「シルバー・アロー」の逸話である。

1934年〜1937年のグラン・エプルーブ、グランプリ・レース(現在のF1世界選手権に相当)は、後に「750kgフォーミュラ」と呼ばれることとなる、車重を750kg以下とするレギュレーションで実施されていた。

1934年のニュルブルクリンクにおけるアイフェル・レンネン(アイフェルレース)前夜、車両重量規定をわずか1キログラムオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督はアルフレート・ノイバウア)は、苦肉の策としてボディーの純白の塗装をすべて剥がすことを決断する。

一晩かかって塗装を落としたアルミむき出しの銀色のボディーに、直接ゼッケンを貼り付けてレースに参戦、そしてこの車を駆るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝する。 それ以降メルセデスのレーシングカーは銀色がトレードマークとなり、「シルバー・アロー」の愛称で呼ばれるようになった。また、これ以降ドイツのナショナルカラーも、それまでの白色から銀色とされた。

同時期に活躍した、アウトウニオンも同様に銀の塗装で「シルバー・フィッシュ」と呼ばれ、第二次世界大戦の勃発する1939年まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢が、グランプリを席巻するのである。
posted by たろ at 21:01| 輸入車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

フェラーリ

フェラーリ (Ferrari) はエンツォフェラーリが設立したイタリアの自動車会社、及びF1のコンストラクター。フィアットグループの傘下。本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級GTカー及び高級スポーツカーしか製造していない。

1947年に、アルファロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、同社のレース撤退により自社のレーシングカーを開発するようになった。

当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販のための量産車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪いなどと不評だった。エンツォはレースを一義と考えて改良したが、それ以来、自社の量産車にスポーツカーという言葉は二度と用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたという。 量産車といえどもその価格は高く、工業製品としての品質はかなり低かった。品質のばらつきが激しくロードカーとしての設計には問題も多かった。また、レーシングカーベースのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しく、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。また、メンテナンス性も低く、交換部品等が高価で維持コストも高いため、購入するだけでなくそれを維持できるということで、その所有者のステータスの高さの証明であるとも言える。 1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカーフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。 この提携の結果、ディーノ206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。 またその後エンツォはレースのみに専念し、市販車部門にはフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとして308シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。これはやがて328、348と発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。 その後、フィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロが社長に就任後、品質の劇的な改善に成功し、好調な業績を上げてきている。 モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。
posted by たろ at 14:30| 輸入車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする